会津武家屋敷
| 会津の観光としても有名な武家屋敷。
幕末時、会津家老の西郷頼盛の家を復元したもので会津のおみやげをかうのも最適。
武家屋敷と、白虎隊の学びや日新館とにしかない独自で発行してる書物もあります。
ぜひ一度お邪魔してみてください。
現在、スタンプラリー開催!!
すべてのスタンプをみつけると半年間半額!!になります!!
ただし、スタンプはなかなか見つかりませんよ!!
(私も挑戦しましたが、やられたぜ!!ってかんじです。)
*ヒント:あけられるところ、さわれるところは全部見ましょう!!(細川殿)
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会津若松の仮装行列 | 毎年、9月24日に鶴賀城から市内を一周するというものです。
幕末の松平容保公、保科氏、蒲生氏郷氏等たくさんの武将を市長等の方々が仮装し、歩くというものです。(山田殿)
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御所周辺 | 蛤御門と来島又兵衛の死んだむくの木
をみてきました。門には弾丸のあとなるものが多数残っており、
ばっちりマクロモードで撮ってきました。PCリンクソフトを買ったら公開します。
御苑内では運動は禁止らしいですが違反者を多数見かけました。(主に気功)
また、落書きが多かったのも悲しかったです。細かいところに目をつぶれば
壮観でした。 |
五稜郭 | 何年か前になります。そのころ全くと言っていいほど、歴史に興味がありませんでしたので
観光地か、いっとこうくらいだったと思います。確か蝋人形のようなものがあったと思います。五稜郭タワーに上り
「ほんとに星形だ。」と思いましたが、カモメを間近でみたことが一番の思い出となっています。(涙)せっかく行ったのに
もったえない限りでした。もう一度行きたいです。 |
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高幡不動尊
| どうも新撰組ファンのメッカらしいですね。行った日が、土方の命日に近かったせい
か、ファンらしき女の子達が、境内にあふれてました。土方歳三の像や、土方、近藤
の記念碑(司馬遼太郎作「燃えよ剣」にもでてきたもの。)があり、あげくのはてに
歳三饅頭(!)が売っていたのには笑いました。東京都日野市には、他にも新撰組ゆ
かりの史跡が多く、なんでもJR日野駅では史跡めぐりのマップが売っているらしい
です。後、5月11日12日と新撰組祭りがあったらしい。どんなんだろう(福田殿) |
二条城 | 大河先取りでにやり!!と思っていたら、年末でお城は休養してました。ゆっくり休んで元気になってください。
写真を撮ったのですがマクロモードに気づかずぼけぼけでした。(涙) |
松平家御廟 | 会津若松市の中心部から東南方向、
東山温泉郷(日光口の戦いで土方歳三が足に負った傷を直したという)
に向かう道、会津武家屋敷を過ぎてすぐを少し奥に入った所に御廟に続く
参道の入口(前に行った時には入口が見つからなくて諦めたんですけど)
がひっそりとありますす。苔むした石段を10分ほど登ると会津松平家一族が
眠る(藩祖保科正之公だけは磐梯山の麓に眠ってるんですが)静閑とした空間に
辿り着きます。まず正之公長子正頼公の墓が姿を見せさらにその奥に二代正経公から九代容保公までの
墓が静かに迎えてくれます。それぞれの略歴(漢文で書かれてるのでちょっと読みづらいんですけど)
が彫られた石柱(3mぐらいの高さかな)が立ち並ぶ光景は代々藩主の威圧感が
静かにこの山全体を包み込んでいる感じがして思わず平伏してしまいそうになりそうな気がしました。
(ちょっとオーバーですね)会津藩主は死後戒名ではなく神号がつけられ
九代容保公の神号は忠誠霊神(まさねと読み幼少の頃より用意されていたらしいです)
といって後から思うとまさに神号通りの生き方をしたと思えて感慨深い想いになります。(奥村殿)
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円山公園 | |
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八木邸 | 年末で入れませんでした。(涙)門前の写真を撮ってきました。 |
霊山歴史館 | 連れが行かないと言ったので一人で乗り込んできました。
入ったとたん「攘夷派が!」「郷士が!」などと論じている大学生風の人3人がいまして、
さすが維新の総本山(?)と妙に納得したりしました。館内きれいでみな親切。展示品も
、竜馬と同型のスミスアンドウェッソンや新撰組名簿などいろいろありおもしろかったです。
頼みもしないのに慶喜のキャストを教えてくれたりと、親切と親しみの場でした。おみやげも
ポスターと資料らがあって、松下村塾の資料集を買いました。(喜)
帰りに、志士達の墓をみました。幾松の墓もありました。木戸孝允の墓のそばに石畳が置いてあって
うっすらと彼の似顔絵と「あなたの弟子になります」というメッセージがチョークで書かれていました。
熱いですね。その後、維新の道と呼ばれる通り(ただの道)を下りて帰りました。 |